会社辞めて良かった

15年間外資系金融機関で働き、現在はフリーのPMOです。

足裏の米粒

 

日本留学のエスノグラフィー  インドネシア人留学生の20年

日本留学のエスノグラフィー インドネシア人留学生の20年

 

博士号のことを、大学関係者は、「足裏の米粒」と呼ぶ。

 

足裏についた米粒は、取りたいが、取っても食べられない。

 

博士号も、取りたいが、取っても食べられない(生活できない)という意味で、足裏の米粒に例えられる。

 

日本企業の場合、年次という鉄の掟が存在するため、入社が遅れる大学院修了者は、不利な位置に置かれがちだ。

 

本書「日本の大学における学位をめぐる状況(P207)」で、日本の大学が、明治時代、ヨーロッパの高等教育の仕組みをモデルとして作られたことが記されている。

 

「ヨーロッパにおいては12、13世紀の大学発祥以後、数世紀にわたり教育を行うところとして大学は存在していた。その歴史の上に、18世紀後半になって初めて研究という要素が加わった(P207)」

 

日本が輸入したのは、研究中心をモデルとした18世紀後半のヨーロッパの高等教育機関だった。

 

第二次大戦後、アメリカに占領された日本は、アメリカの学部と大学院制度をモデルにしようとしたが、日本側と占領軍側の利害関係が複雑に絡み、抜本的な改革にはならず、研究中心の大学制度が続くことになった。

 

本書は、日本の大学に留学したインドネシア人がその後、どのような生活を送っているかなどをレポートしているが、日本の大学制度に対する問題意識も投げかけている。

 

大学関係者に、一読をおすすめする一冊だ。

 

日本留学のエスノグラフィー  インドネシア人留学生の20年

日本留学のエスノグラフィー インドネシア人留学生の20年